2023.05.11_日記

5月の晴れた日の住宅地には特有の静けさがある。仕事で訪れた静かな住宅地の庭で木々が風で揺れる音を聞いていたら退屈でしょうがないという気持ちを抱えながらそれをどう発散していいのかわからずに家の中でただひたすらに時間がゆっくりと過ぎていくのを感じていた小学生の頃を思い出した。あの日もこんな静けさが住宅地に満ちていた。人の気配があるようでなく、外から響いてくるのは近くを通りかかる車や郵便配達のバイクの音と木々が風を抱えて揺れる音ばかりだった。お昼時の見飽きたテレビ番組の音声と重なることでいっそう退屈さを感じさせていたのだと思う。

小学生の頃の記憶は空き地と共にある。買い手が見つからず手つかずになっていた空き地が遊び場であり庭だった。小高い丘に作られた住宅地には高さの違う空き地が段になって広がっていた。空き地から空き地へと遊び場を変えていく。庭の原風景がもしあるとすれば空き地がそれだと思う。

雑草が生い茂る庭に惹きつけられるのは空き地へ戻ろうとしていうように見えているからだろうか。

小高い丘に作られた住宅地からは一面に広がる田んぼが見渡せた。家の西側には泉ヶ丘が見えてスキー場を照らすライトが豆粒のように光っているのも見えた。夜は暗くて星もたくさん見えた気がする。 
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