2023.05.05_日記

一羽のカワウが公園の沼にある浮きの上にとまっていて、風向きに合わせて身体の向きをクルクルと変えながら(風見鶏のように)、広げた羽を乾かしていた。2日前に来たときも一羽だけで、この一羽だけがこの公園の沼をテリトリーにしながらエサを獲っているのかもしれないし、2日前と今日のカワウは違うカワウでそれを同じカワウだと思っているだけなのかもしれない。羽を広げて上を向いた姿勢のカワウは思ったよりも大きくてしばらく見入ってしまった。昨日読み終わった「旅する練習」のなかでカワウが羽を乾かす描写があって、その描写から想像していた姿と目の前の姿を見比べて、そのズレのなかで目の前のカワウを見ていて、カワウがカワウ以上の広がりを持っているように感じたけど、やっぱりカワウはただのカワウとして目の前で羽を乾かしていた。「旅する練習」のなかに登場する少女が、魚を捕るためだけに生きているようなカワウの姿を見て「魚を獲るために生まれたみたいでかっこいいじゃん」と思いながら、人間(自分)もそういう生き方が出来るだろうかと憧れを抱いていたその感じを(あるいは、それを読みながら自分が感じていた事を)、これからカワウを見る度に思い出すのかもしれないと思った。
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