2023.04.28_日記

撮られた写真の背後に「個人の生」を読み解き(それ込みで撮影して)、それを作品の意味へと解釈しなおすのが「私写真」なのだとして、ただ撮られた写真とは何が違うのか、なぜ私写真と名指す必要があるのか。そうすることによって写真にどんな効果を持たせようとしているのか。という問のようなものがぱっと思いつく。

人が持つ情報量の多さ。

ただ撮られた写真は「個人の生」のような含みを持たないのか。

写真にジャンルはあるのか。山岳写真というジャンルがあるとしたら、それは写真の分類ではなくて、撮られた対象の分類、情報であって、写真そのものを分類しているわけではない。写真そのものは分類できない。技法や対象によって分類していて、小説なら、推理小説、SF、私小説、etc…があるがけど、どれも小説の題材や技法的な分類で小説そのものを分類しているわけではない。それぞれのジャンルがあると言われればあるし、ただはっきりと線引きされているわけではないし、ジャンルという意識を持たずに小説を書くことができるように、写真も撮ることができる。じゃあ分類する意味がどこにあるのかといえば、それは作る側というよりは見る側の意識に影響していて、情報として受け取るときの方向性としてジャンルがあることによって情報処理が楽になる。 
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