快晴、とても気持ちの良い天気
7時半に起床。歯を磨き猫へ餌をやる。トーストと目玉焼きとベーコンを焼いて朝食をとる。東浩紀の突発放送のアーカイブ を見る。コンビニでフルーツミックスサンドとモカブレンドを買って昼食を取る。14:46、黙祷のサイレンが鳴る。1分間黙祷をする。平屋に行き、その後に整形外科に行って怪我をした指を見てもらう。骨が折れていたらしい。手術が必要な可能性が高い。
この章で僕が最も伝えたいことを前もって書いてしまうと、地域のためとか、復興のためとか、家のためとか日本のためとか、そういうことは一切考えなくていい。あなたはあなただけの人生を堂々と歩むべきだ、それが地域とともに生きること、課題とともに生きることなんだ、ということです。
災害が起きたり、課題が深刻になると、「復興のため」だとか「地域のため」だとか、個人よりも大事な何かが生み出され、多くの人がそれに動員されていきます。日本の、特に課題だらけですから、こちらは、地方の再生のために命を投げ出すような動きが称賛されるかもしれません。けれど、そういうものはまやかしだと思っています。そんなもののために自分を犠牲にしないでください。大事なのはあなた自身です。どこまでも自分の関心や興味や、自分の課題や生きづらさから出発すればいいんです。それぞれが多様な自分だけの「復興の物語」や「地域創生の物語」を生きればいい。僕がこの章で言いたいことは実はそれだけだったりします。(1)
地方で作品を作ることに、被災地という場所で作ることにどういった意味があるのか、そう問われたことがある。正直その問いに僕はピンときていなかった。そこで問われことに対して、誰かが納得できる回答を与えられたとして、どれだけの価値があるのか。
復興のため、地域のため、そういう名目から逃れるために生きてきた。高校生の頃からこの言葉が持つ曖昧さに違和感を感じつづけてきた。もっと違う形で、この土地と関わりを持てるのではないかと思ってきた。自分がこの場所でやりたいと思えることにちゃんと向き合うこと、それが復興に似た何かなのではないかと高校生の僕は考えていた。
(1)小松理虔 地方を生きる 2021.01.10 ちくまブリマー新書 p173-174